かめのあきのゲームブログ

好きなタイトルを中心に、レビューや思い出を画像多めで書き綴ります。

「天地創造」美麗なグラフィックとサウンドによる演出が成り立たせる、圧倒的超大作感!世界復興型アクションRPG

様々なゲームをプレイしてきた方々にとって、

好きなタイトルや、特にハマったタイトル等であれば、数多く存在する事と思います。

 

では、その中で最も、”超大作な雰囲気”があった作品と言えば、何が思い浮かぶでしょうか。

 

 

今回は、私にとってのそんな作品。

天地創造をご紹介致しましょう。

 

 

スーパーファミコンにて、1995年10月に発売されていた本作。

 

巷では、同年に発売された「クロノ・トリガー」や「ドラクエⅥ」、「風来のシレン」等の話題作の方が注目され、”隠れた名作”とされているらしい本作なのですが、

我が家には当時から存在し、私の中で非常に大きな存在感のあるゲームの一つでした。

 

 

電源を付けて始まる、オープニングデモの文章と演出が、まず圧巻。

 

「その星には”ライトサイド”と”ダークサイド”という、表裏一体の二つの意志(心)があり、

この大いなる二つの意志によって、生命は進化と衰退を繰り返してきた」

・・・といった旨の内容が、響く心音と美麗なグラフィックと共に語られていきます。

 

 

生命を誕生させたり、知恵や技術を与えたりするライトサイドを「神」

氷河期を到来させたり、世界の発展の陰でひずみや犠牲を発生させるダークサイドを「あくま」と呼んだ・・・と、

子供心にも印象深い表現をもって、冒頭の語りが締め括られた後・・・

 

 

時計の針が崩れ落ち、新たに”13”の数字が出現。

その姿を地球へと変え、手前側にズーム。

 

 

そして、「天」「地」「創」「造」の文字が、

一文字一文字ゆっくりと、噛みしめるように表示され・・・

 

 

その四文字が画面左上へと移動し、

ゲームカセットのイラストにもなっている、↑の画像のタイトル画面が表示されます。

 

 

ここまででもう、”超大作感”がハンパではありません。

物凄くスケールの大きい、壮大なテーマを扱った作品なんだなっていうのが、

一目瞭然で伝わります。

 

この、オープニングデモにおける壮大さ超大作な感じは、

他に一切の並ぶものが無いと思っています。

 

 

セーブデータを作成し、「序章 旅立ち」と表示された後に始まるゲーム本編。

 

”地裏”と呼ばれる世界の、たった一つの村である”クリスタルホルム”の住人、

主人公でやんちゃな少年「アーク」は、

いつものように、幼馴染みの少女「エル」に起こされる朝を迎えます。

 

 

そして、ひょんな事から、村の長老から入る事を禁じられていた扉を開け、

その先にあったパンドラの箱の中に居た「ヨミ」という生物と出会います。

 

それと同時に、村の人々は氷漬けの姿になってしまい、

長老からの指令のもと、皆を救うべく村の外へと旅立つ事に。

 

 

そうして、村を出た瞬間に表示される、↑のフィールドマップ。

 

非常に独特で、BGMの「旅立ち」も含めて強烈な印象を与えます。

 

画面の上部に、常に蓋のようなものが存在したり、あちこちに溶岩があるのは、

ここが”地裏”という文字の通り、地球の裏側に位置する世界を表現しているからなのでしょうね。

 

 

まずは、地裏に五つ存在する「試練の塔」と呼ばれる場所を攻略していく事に。

 

↑の画像の、塔の外観のグラフィックも圧巻です。

 

 

試練の塔という名の通り、この地裏ダンジョンはチュートリアルの役割も兼ねており、

ここで、本作の一通りのアクションに慣れていく事が求められます。

 

アークの攻撃方法には、

・Aボタンで基本攻撃(ノーマルアタック)

・Aボタン連打で百裂攻撃(ラッシュアタック)

・ジャンプ中にAボタンで空中攻撃(スピンアタック)

ダッシュからのAボタンで突進攻撃(ミドルスライサー)

ダッシュジャンプからのAボタンで滑走攻撃(レッグスライダー)

 

と、簡単操作で繰り出せる多彩なものが揃っており、

動きも軽快な事から、アクション性の出来栄えも上々です。

(Rボタンでガードも出来る他、オプションにて各操作ボタンを変更する事もできます。)

 

 

(また、旅立ちのきっかけとなったパンドラの箱は、アークが行き来できる”もう一つの空間”となっていて、

セレクトボタンで切り替わり、アイテムや装備品の使用・管理を行う、メニュー画面の役割にもなっています。

これも、本作を象徴する独自的な要素であると思っています。)

 

 

塔の最上階にて、「大地をあやつる空間」と呼ばれる場所に到着すると・・・

 

 

まるで赤ん坊が産まれるかのような、神秘的なBGMと演出にて、

美麗なグラフィックと共に「大陸」が復活。

 

 

一つ一つ、”地表”の世界へと姿を現していきます。

 

この、圧倒的なグラフィックによる演出が五回分繰り返されるのは、実に圧巻。

本作の世界に、ズッポリとのめり込む事になります。

 

(また、5つの塔を攻略するまでの間に、

ヒロインの「エル」との絆を表現するイベントが挟まれているところも、抜かりがありません。)

 

 

地裏の人々を元通りの姿にし、次は地表の世界の復興を長老から命じられたアークは、

「少しの間だけ さようなら」というエルからの言葉を聞いた後、

 

その身一つで地表へと降り立ちます。

(ここから「第2章 世界の復活」となります。)

 

そこは荒廃しており、緑はおろか、生命の影も形もありません。

 

 

まずは、最初の本格的なダンジョンである「巨木の洞窟」を攻略し、

世界に緑を取り戻します。

 

 

すると、荒廃していた景色が一変。

 

雄大なフィールドBGM「さらなる広い世界へ」と合わせて

この時点で既に、並々ならぬ情緒を引き起こしてくれます。

 

(この音楽とグラフィックと共にフィールド、すなわちこの世界を移動する事だけでも、

本作をプレイする事に大きな意義があると思っています。)

 

 

緑が復活したという事は、植物達の命が復活したという事。

 

このゲームでは、植物や動物達とも心を通わせ、「会話」をする事ができます。

これも、本作を印象付ける大きな要素の一つでしょう。

 

 

次なるダンジョン「グレートクリフ」を攻略すると、今度は鳥達が復活。

 

 

そして、鳥達との多少の交流を経た後、

「渡り鳥」の力を借りて、新たな大陸へと運んでもらいます。

 

これも、本作を代表する1シーン。

 

 

「サファリアム」という場所に到着するも、

かつて、そこに栄えていた動物達の姿が無いとの事。(渡り鳥からの情報です)

 

そこで、「ズウ」というダンジョンを攻略すると、動物達が復活。

 

 

その後、サファリアムに住むライオンを始めとした動物達の王である「ネオ」(の妻)からの頼みにより、

その息子「ライム」と共に、「せんじんの谷」と呼ばれる場所での試練に挑みます。

 

おそらく、本作で最も印象に残るダンジョンの一つでしょう。

 

 

そうして、ネオの信頼と協力を得たアークは、

用意してもらった”カバの橋”を渡って、また新たな大陸へ。

 

 

次の積雪地帯のダンジョン「エクルマータ」の攻略中、ふとした事から雪崩に巻き込まれたアークは、

そこで一頭の雌のカモシカによって、命を救われます。

 

 

この時の、生き延びるために自分の夫の亡き骸を食そうとするシーンと、

カモシカを置き去りにして、自分だけが脱出せざるを得なくなるシーンは、

本作における、印象的な一大イベント。

 

単なるトラウマイベントと呼ぶには収まらない、胸に迫って来るものがあります。

(本ダンジョンクリア後にもう一度訪れると、二匹が並ぶように横たわって亡くなっているのも含めて。)

 

 

エクルマータをクリアすると、まるで食物連鎖を表すかのようなデモが表示された後、

「ラサの村」という場所で目を覚ますアーク。

そこで、いよいよ人類が復活した事を目の当たりにします。

 

 

「第3章 天才の復活」と表示された通り、ここからは人間達の営みと発展にスポットが当てられ、

幾多の人間と関わっていくようになるわけなのですが、

 

この時点で、動植物たちとの会話ができなくなります。

 

人間が復活したのにも関わらず、プレイヤーに一抹の寂しさを感じさせるという、驚異の演出です。

 

 

人類が復活してからの、最初のダンジョンとなるのは、砂漠の廃墟「ロウラン」

 

行方知れずとなった、超能力少女メイリンを探すべく駆け回る事になる、

不気味な雰囲気(のBGM)の場所かつ、本作で一・ニを争うトラウマポイントで、

特に、↑の画像の隠れた入り口がわからず、小学生の頃はここで足止めを喰っていたのを覚えています。

(廃墟と化す前の探索パートにて、ちゃんとヒントも存在するのですが。)

 

 

ロウランでの出来事を経て、次に行うのは、

遊牧民の村」で得られるようになった情報を頼りに突破を目指す、

無限砂漠の意を持つタクラマカン砂漠越え。

 

ここも、ロウランの不気味なBGMが引き続き使用されていたり、

時間をかけ過ぎると倒れてしまって、遊牧民の村に戻される事から、非常に印象的です。

 

(どれくらい印象的かというと、本作をプレイした小学校低学年からの私の頭にずっとタクラマカンという単語と、

”砂漠=タクラマカンという概念を強烈に植え付けている程にです。)

 

 

そうして、タクラマカン砂漠を抜けた先の地方にある「ルワール城」では、

 

地裏の幼馴染み「エル」にそっくりの女性、

「エル王女」と出会う事に。

 

ど、どういう事・・・ ・・・!!?

 

 

ある出来事から、言葉を発する事ができなくなっていたらしいエル王女を救うべく、

手掛かりを求めて、王女の故郷があるとされる「ノルフェスターの森」という場所の探索に向かう事に。

 

すると、その奥地にて待ち受けていたのは、

 

その名を「ストークホルム」と言う、

地裏の故郷「クリスタルホルム」そっくりの姿をした村だったのだ・・・ ・・・!!!

 

 

ええぇぇぇぇ~~~~~っっっ!!???

こんな事ってある・・・ ・・・!!!????

 

 

 

・・・と、ここまでザッと説明しましたが、

ゲーム開始からここに至るまでのストーリー展開と演出、そして引き込みは、

その全てが見所であり、山場と言って差し支えありません。

 

 

ここまでの、圧倒的なワクワク感

美麗なグラフィックと、ハイクオリティなサウンドによる各復活時の演出

そしてアクション面での手応えや、適度な謎解きによるゲームとしての楽しさ等は、

超一級品と称する他ない、非常にハイレベルなものです。

 

 

「特殊な世界の住人である主人公が、そこで地球上の大陸を復活させた後に降り立ち、

植物や動物達を復活させて会話をし、

渡り鳥で空を飛んだり、カバの橋を渡ったりして冒険し、

人間を復活させ、無限砂漠をひた進み、

向かった先の国で、幼馴染みそっくりの女性と出会い、更には生まれ故郷とうりふたつの村に辿り着く・・・。」

 

なんて体験ができるゲーム、他にあります??

 

無いでしょ、絶対・・・!!!

(しかも、後ろを振り返れば、もう植物や動物達とは話せなくなっているという切なさ付きですからね。)

 

 

 

・・・と、いう事で、ここまでのゲーム展開をもってして、

私の中での天地創造というゲームソフトは、

私のゲーム人生において、最も”超大作感を纏っていた作品”として、

昔から今まで君臨し続けているのでした。

 

 

しかし、本記事はここで終わらず、ちゃんと最後まで紹介しますよ。

 

お次に向かう事となるダンジョンは、

幽閉された探検家のコロンブスを救出する為に訪れる「シルバイン城」

 

 

ここでは、本作屈指の強ボス「ブラッディマリー」が待ち受けており、

普通に進んで来ただけのレベルでは全く歯が立たない為、レベル上げを強いられる事になります。

 

その強さは、本作でほとんど使う必要のない”魔法”による攻撃も引っ張り出さなければならない程で、

ハッキリ言って調整不足か、なんらかによる事情で過程をすっ飛ばした、もしくは本来もっと後々の方で登場する予定のボス(ダンジョン)だったのか?と邪推してしまいます。

 

 

この辺りから、このゲームの雲行きが少々怪しくなってきます。

 

(ただし、私の中で天地創造が最高に面白かった範囲”は、ギリギリここまでを含んでいます。)

 

 

上記の、ブラッディマリーとの死闘を終えて以降は、

ラスボス戦とエンディングを除き、私の中では正直、少々印象が薄くなっている本作。

 

エル王女との一時の船旅や、木材を集めて橋を作って渡るイベント、

年中お祭りをやっている町「リオット」にて、メイリンから気持ちを打ち明けられるイベント等を経て、

次に向かうのは「人魚の塔」

 

ですが、これまでのダンジョンと比べると、

ほとんど単なる通り道かと思うような、シンプルな構造で、すぐにボス戦となります。

 

(また、↑の画像のフロアで経験値稼ぎをする事で、

いとも簡単に10レベル以上一気に上げてしまえたりと、バランスも大雑把になります。)

 

 

アクション面でのやり応えが、少々味気なくなるのと同時に、

世界各国を巡って多種多様な出来事をこなし、様々なイベントの行く末を見届ける、

”町の発展”要素が前面に押し出されてきます。

 

つまるところが、いわゆる”お使いゲーム”ですね。

 

 

個人的には、様々なお使いイベントや、それに伴う各町の発展要素よりも、

色々な所で、やたらと様々な物を飲み食いできる事から、

食べ歩きゲー(?)のような側面の方を面白く感じていました。

 

 

ストーリーの本筋においては、

後半の中では比較的ダンジョンとしての体裁を成している五大湖のほこら」

戦闘無しのイベント観賞用のようなダンジョン「ドラグーン城」をクリアした後、

 

飛行機完成後に向かった先の「グランドモスク」という宗教チックな町にて、

DNA操作による不老不死を実現し、永久不変の世界を作り上げようとしている

ベルーガという名の男(巨悪)の存在が、唐突に提示されます。

 

 

そこから南にある「研究所」にて、

かつて滅びを迎える前の地表では、空気感染型のウィルスによって大半の人類が死滅していた事などの断片的な情報を得た上で、

”極低温睡眠装置”によって、唯一生き残っていたベルーガと対面。

 

ここで、ベルーガの作った防衛ロボットの手により、アークは一度死の淵に立たされます。

 

 

その際、遠のく意識の中で、地裏の長老から

ベルーガは素晴らしい世界を築き上げてくれるだろう。

お前の役目はもう終わった。ゆっくりと眠りにつくがいい。」

と言い渡されますが、

 

ラサの村の代表人物かつ、”輪廻転生者”である「クマリ」の呼びかけによって目を覚まし、

世界中を巡って”星のかけら”と呼ばれる物質を探す事となります。

 

 

五つの星のかけらを見つけ出し、「ドライバレー」という場所に捧げると、

自らを「ライトサイドの使者」と名乗る者の魂(?)がアークの身体に入り込み、意識を失います。

 

そして、「第4章 えいゆうの復活」と表示された後、

アークは何故か赤ん坊の姿となってストークホルムの村に移動しており、地表のエルの手によって育てられていますが、

そこへ、抹殺の指令を受けた地裏のエルがやって来ます。

 

しかし、その瞬間、

かつて助けた植物や鳥、動物達の声が頭の中で鳴り響き、再び元の姿へと戻るアーク。

 

それを見た、同じく(ベルーガ復活後に)アーク抹殺を目的として動いていたヨミは、

「光とヤミの死者がついに誕生してしまった」と言い、ためらう地裏のエルに代わってアークを殺害しようとしますが、

謎の力を発動した地裏のエルの道連れによって、そのまま消滅してしまいます。

 

 

そして、その場にあった地表のパンドラの箱を開け、

コロンブスが世界中を探し回って見つけた「エイユウの武具」と、新たに付いて来る事になった地表のヨミと共に、

「ずっと この場所であなたの帰りを待ってる」と言う地表のエルを残して、ベルーガとの決着を付けるべく動き出します。

 

 

その後、グランドモスクの遥か東に出現していたベルーガの研究塔」にて、

それまでの旅の間で、アークと何かしら関わりを持っていた人物達が集結し、

彼らの力を借りつつ、最奥へと歩を進めます。

 

 

そして、そこに用意してあったベルーガ「飛行船」に乗り込み、

あちこちに時限爆弾を仕掛けて追い詰めると、

 

”飛行船のプロペラ”に引き寄せられて巻き込まれ、

その最期を遂げるベルーガ

 

 

それを見届けた後、協力者達と別れを告げ、

アークだけは、その場へと迎えに来てくれた渡り鳥の力によって、地上へと戻ります。

 

 

飛行船が墜落した衝撃で、元来た大地の大穴が再び開き、

地裏の世界、そして故郷”クリスタルホルム”へと戻って来たアーク。

 

しかし、村人に話し掛けた途端、

「知らなければ 幸せな日々を送れたものを・・・」という謎の声と共に、

村人は魂の姿へと変貌してしまう他、村自体も夕闇のような景色へと一変。

 

 

そして、長老の元へと戻ると、

「いささか 知り過ぎたようじゃな」

「地裏の人間達は コピー人間」

「ヤミの意志は お前に滅びの時を告げている」

「お前の役目は もう終わった」

等と告げられた後、ガイアストーン(裏側の太陽の中)へと呼び込まれ・・・

 

 

全ての黒幕であった、長老。

ヤミの意志・裏の心。

 

すなわち、

「ダークガイア」とのラストバトル!!!

 

 

この最後の戦いに勝つと、地球の表の心「ライトガイア」が語り掛けてきて、

 

「ダークガイアを封じた今 地裏自体が姿を消しつつあります」

「これから地上の世界は ゆっくりと本来の姿に戻っていく事でしょう」

「あなたの役目は終わりました もうじきその体も消えゆく事でしょう」

と告げられた後、

 

「今日一日だけ 平和な頃のクリスタルホルムで

 最後の時を楽しんでいらっしゃい」

・・・と添えられ、その言葉通り、最後の平和なひと時を過ごす事になります。

 

 

言うまでもなく、本作を経験した全てのプレイヤーに、

並々ならぬ感慨と切なさをもたらすシーンでしょう。

 

 

そして、自室のベッドで休むと、

消滅したはずの地裏のエルから、最後の言葉を届けられ・・・

 

 

深い眠りに落ち、鳥になって一回り成長した世界を眺めるという、

夢の中の景色と共に、流れるスタッフロール

 

 

それが終わると、最後に鳥は”ある場所”へと降り立ち・・・

 

 

トークホルムで一人待っていた地表のエルのもとへ、

夜中の12時も回ろうという時間に何者かが訪れ、ノックを繰り返します。

 

 

そして、「どなたですか?」と彼女が扉を開け、外へと駆け出し・・・

 

 THE END となります。

 

 

 

・・・と、ここまでご覧になられた通り、プレイする機会があった者の心には確実に何かを残し、

名作神ゲーといった類の作品であった事には、なんら疑う余地のない本作。

 

グラフィックとサウンド面でのパワーがあまりにも凄まじい事に加えて、

アクションRPGとしてのクオリティも高水準な事、

そして何より、大きな切なさと、少しの希望を残した独創的なエンディングによって醸し出された、

ゲームとしての総合的な雰囲気というか、オーラが秀逸過ぎるので、体験したプレイヤーを絶賛させたくなるのでしょうね。

 

 

私としても、途中で述べた通り、

旅立ち→試練の塔×5→地表へ→植物復活→鳥復活→動物復活→せんじんの谷→人類復活→ロウラン→タクラマカン砂漠越え→ルワール城→ノルフェスターの森

この一連の流れの、絶対的かつ圧倒的なワクワク感を帯びたゲーム体験は、

文句一つない、絶賛する他ない出来栄えだったと言い切れます。

 

直後の「シルバイン城」と、ボスの「ブラッディマリー」は少々鬼畜ですが、

それ故に強烈に印象に残っていたので、私の中ではアリです。

 

(ゲーム的な欠点を挙げるなら、魔法の使用価値がほとんど無い事と、

収集要素がその魔法の使用回数に関わる「プライムブルー」頼りであるという事が挙げられますが、この際そんな事はどうでも良いです。)

 

ただ、私の中で色濃く印象に残っている天地創造の思い出は、やはりそこまで。

その辺りで、小学生の頃の私は、自分のデータを進めるのはやめてしまい、

兄がクリアしたデータを使用して、ラスボス戦とエンディングだけを体験して終わってしまっていました。

(厳密には、「リオット」のイベントまでは辿り着いていた記憶がありますが、

どちらにせよ、ゲームへのモチベーションはその辺りで失ってしまっていました。)

 

 

その後、十数年以上の時を経て、

大学卒業後に再プレイし、最初から最後までの通しプレイを二回した上で本記事を書いていますが、

私としては、後半のストーリー展開とか構成に関しては、

正直に言って、少々惜しいなと思うところがあります。

 

リオット以降で度々繰り広げられる、メイリンを含めた三角関係のイベント等には「そういうのは求めてないんだよな」と思ってしまったり、

作業感の強い都市発展要素と、それに付随する薄暗い部分の描写等には、シルバイン城までのアクションRPG要素と比較して、それほど魅力を感じなかったりと、

(一応、ネット上で攻略を見ながら全都市の発展度100%は達成しています)

個人的な好き嫌いがあったというのを差し引いても、

 

飛行機完成後~ラスボス戦までのストーリー展開には、明らかに唐突なところがあり、

関連するイベント自体も、割と断片的かつ抽象的な傾向があって、

エンディングまで含めて一本の線にするには、プレイヤー各個人が頭の中で独自に解釈したり、補完したりする必要がある作りにされています。

 

 

要するに、ダークガイアである地裏の長老は、

「再生と破壊の必要がない、”13時”とも呼べる、永久に停滞した生きながらにして死んでいるような世界」をベルーガやアークを利用して作り上げ、それを我が物にしようと画策していたが、

途中、ライトガイアの抵抗によって、地裏の駒であったはずのアークを覚醒させられて打ち倒され、

「”13時”の世界」になりかけていた狂った地表は、徐々に本来の自然な世界へと戻っていき、

必要のなくなった模造品・地裏と、その住人は消滅する運命となるが、

使者に選ばれた人物であるアークだけは、何の因果か輪廻転生を果たして、即座に地表の世界にて生まれ変わった・・・。

というストーリーなのだと、私の中では解釈していますが、

プレイした人の数だけ、幾多にも受け取り方があるシナリオなのだと思います。

 

それが、果たして意図したものなのか?というと、

私はどうしても、容量との兼ね合いの跡を感じてしまうんですよね。

当初予定したものからは、色々と削った部分が多くあったんじゃないのかな、とね。

(実際、船で近くを通過する際に「ケープタウン」と表示されるものの、

入る事ができない大陸があったりするのは、没になったイベントがあったらしいですからね。)

 

 

その辺の惜しい点や、腑に落ちない部分を帳消しにする為かのように、エンディングでは

”消滅してしまう前に、平和だった頃の故郷で最後の一日を過ごす”

”帰りを待っている、ヒロインの一人のもとへ主人公らしき誰かが訪れるも、本来は実現不可能な事象である上に詳細は語られず、プレイヤーの想像にお任せする”

という、ある種のパワープレイとも言えるような演出と結末が用意されている事から、

 

それによって発生する、並々ならぬ感慨や情緒といったものによって、

「細かい事は良いんだよ!」という気持ちにさせがちというか、実際にそういう思い出として残っている事も、また事実なのですが。

 

 

それでも、やはり私の中では、

本作は「超大作感溢れる作品」とは呼べますが、「超大作」と言い切るには、

後半からのアクション面での手応えの低下と、やや飛び飛びなストーリー展開の惜しさが目立った作品だと思っています。

 

いや、大好きな作品である事には違いありませんよ。

 

実際の地球を模した世界を旅するアクションRPGとして、これ以上のクオリティの物があるとは到底思えませんし、

小学校低学年の頃に、ラスボス第二形態の絵を落書き帳に描いたり、タイトルの「天地創造」が読めずに本作を「アーク」と呼んで友達にオススメした経験があったり等、

私の中で、昔から今に至るまで一貫して、巨大な存在感を誇っているゲームタイトルの一つです。

 

 

でも、それ故に惜しいなと、どうしても思ってしまうという事です。

 

 

 

~~本作を未プレイの方は、今からでもプレイする機会があれば是非とも触れてみて頂きたいですし、

本作をプレイ済みで、後半のストーリー展開(又は全容でも)について、独自に思う事がある方は、

是非とも、お気軽にコメントにてお伝えして頂けると喜びます。

 

宜しくお願い致します。