「ライブ・ア・ライブ」十数年の時を経て伝説となった、スクウェアが誇る怪作オムニバス型RPG
私は小さい頃から、2Dアクションや格闘ゲームなどの系統のゲームが好きですが、
勿論、それ以外のジャンルにおいても、心に残り続けている作品は色々と存在します。
今回は、その中でも特に印象の深い作品の一つである、
スーファミの名作にして怪作、「ライブ・ア・ライブ」についてご紹介致します。
発売は1994年。
この頃のスーファミ(スクウェア)ソフトの発売ラインナップというのは、非常に強力な物揃いだったそうで、
本作は非常に野心的かつ魅力的な内容でありながらも、販売本数的にはそれほど奮わず、埋もれてしまったタイトルにあたるようです。
ですが、当時兄が買ってきた事で、我が家には昔から存在しており、
何名かの友人にも貸したりしながら、その内容の面白さを共有したものです。
ジャンル的には、一応”RPG”という事なのですが、
そのバトル形式は、7×7マスのマップを用いた”チェッカーバトル”と呼ばれる独自のもので、一般的なRPGとは一線を画したゲームデザインとなっています。
レベルアップやイベント等で習得した技や、アイテムを駆使して戦ったり、装備の概念があるという点では一般のRPGと同じですが、
技の発動に必要な(強力なものは溜め時間こそあれど)”MP”等にあたるステータスが存在しなかったり、戦闘後には毎回HPが全回復したりと、かなり独特な作り。
私が経験したゲームの中でも、はたまたゲーム史上全体においても、他に類がなさそうなバトルシステムとなっていますが、
要領さえ掴めば、他では味わえない、唯一無二の面白さを有していると言えます。
また、上記と合わせた本作の大きな特徴として、
7人の主人公とシナリオを好きな順番で選んでプレイする、”オムニバス形式”を採用している事が挙げられます。
(それぞれの主人公達は、多数の漫画家さん方がキャラクターデザインを手掛けています。)
各シナリオによって、システムや雰囲気自体がガラリと異なる作りになっていますが、
どのシナリオも例外なく、キャラの生き死にが関わるストーリーが展開される事と、
ボス戦において超激アツ戦闘BGMである「MEGALOMANIA」が流れるという点で共通しており、
プレイヤーの感情を刺激し、胸を打つシーンが数多く存在します。
7つのシナリオを全てクリアした後は、8つ目のシナリオが登場。
それも終えると、全主人公達が集結する、やり込み重視の最終編が開始するという流れとなっています。
↓以下からは、私の思うオススメのプレイ順にて、
個人的な思い出話や感想も挟みつつ、各シナリオについて紹介していきます。
■現代編
世界最強の格闘家を目指す男「高原日勝(たかはらまさる)」を操作して、
全七戦の激闘を勝ち抜く、戦闘のみで構成されたシナリオ。
「アンタの奥義を教えてくれと頼んだからといって、誰も教えてくれやしないだろう」という彼の持論により、相手の技をその身に受けて習得する”ラーニング”システムが特徴で、
対戦相手の得意技を習得する事を念頭に置きつつも、本作のチェッカーバトルのコツと楽しさを掴むのに適したシナリオだと思います。(難易度は若干高めかもしれませんが)
全シナリオ中、ダントツの短さを誇りながらも、ラスボス戦前の問答ではしっかりと盛り上げてくれるので、抜かりがありません。
また、対戦相手の一人である”森部のじーさん”の奥義「通打」は、
このゲームで一・ニを争うぶっ壊れ性能の能力ダウン技で、高原日勝という最強の格闘家の象徴とも言える技となっています。
「知力25」とか言って最初にネタにし始めたのは、一体どこの誰なんでしょうね?
■西部編
荒野の小さな町”サクセズタウン”を舞台に繰り広げられる、
凄腕のガンマン「サンダウン・キッド」と、彼を付け狙う賞金稼ぎの「マッド・ドッグ」が手を組み、そこに住む人々の為、荒くれ者達を打ち倒すヒーロー活劇。
現代編に次ぐ短さを誇るこのシナリオは、
立ち寄った町にて無法集団を倒す為に、”住民達と協力して罠を仕掛け、敵の人数を減らす”という作業と結果に焦点を当てた作りとなっています。
時間経過によって8つの鐘がなるまでに、町を隅々まで探索して罠の道具となる物を探し、それを住民達に手渡す事で罠を仕掛けられ、
敵の襲撃シーンになると、それに応じて敵が散っていく様(例えば「ダイナマイト」の爆発で吹っ飛ぶなど)が爽快です。
攻略情報なしで挑んでいた小学生の頃は、どうやっても3~4人程度残ってしまっていたのですが、
上手くやれば、ラスボス戦の敵を大将一人にする事ができるみたいです。
一度だけ、試しに一切の罠を仕掛けずに、大量の敵を相手に戦ってみた事もあるのですが、
なぜか敵の数に反してそれほど攻撃してこず、普通に勝ててしまった記憶があるのはナイショ。
■原始編
まだ言葉が存在しない時代、主人公である元気な少年「ポゴ」が、
ある日、自分達の集落に迷い込んできた敵部族の少女「べる」に恋をしてしまった事から始まるシナリオ。
Yボタンで敵の匂いを嗅ぎ、その位置を調べるという独自の要素を除けば、
レベルを上げつつ一本道のストーリーを突き進む、割とオーソドックスな形式のシナリオとなっています。
敵との戦闘で「ケモノのツノ」などの素材アイテムを取得し、それを特定の人物に二種類渡す事で行える”合成”システムがあり、ゲーム開始時から強装備を固めて無双する快感もあったり、
話の本筋が非常にわかりやすい事から、子供の頃は結構好きなシナリオだったと記憶しています。
短い期間(+ラスボス戦)しか仲間にいない少女の「べる」は、レベルを上げると広範囲高威力攻撃の「るーるー」を覚える事に加えて、
合成で手に入る「野性バッグ」「野性ドレス」を装備させる事で、このゲームにおける全仲間キャラの中でも最強クラスの戦闘マシーンと化すのも、なんだか夢があって好きなポイント。
他にも、普通にプレイしていたら絶対に気付かない強力な隠し装備「モノな石」や、
本作最強レベルの隠しボス「キングマンモー」といった隠し要素が仕込まれていたりと、ゲームとしてのやり込みの楽しさも持ち合わせています。
また、私の個人的な思い出話として、
小学生の頃に、友人のY君に本作を貸していた時、このシナリオのラスボス恐竜「おーでぃーおー」が倒せないと言うので、家に行って代わりにプレイしてみたら、
ポゴ達のレベルがまったく上がっていなくて戦力にならず、ラスボス戦でのみ絶叫しながら加勢する敵部族のリーダー「ざき」の、”尻でぶつかる技”を連打して倒したという出来事が印象に残っています。
普通にプレイしていれば、逆にめっちゃ弱くて役に立たないハズなんですけどね、ざき。
Y君は、雑魚敵全逃げでラスボス戦まで行ってたって事なんだろうか・・・?
■功夫編
中国拳法の流派”心山拳”を伝承すべく、大志山に住む「心山拳老師」が、
弟子となる若者を探す為、山を下りるところから始まるシナリオ。
奥義の伝承、師匠と弟子の交流、肉体よりも精神の強さに重きを置くといったテーマ性に加えて、
かたき討ちを目的とした後半の激闘に、ラスボス戦~エンディングにおける弟子の一人立ちなど、
王道的でわかりやすい、シンプルに感動的なストーリー展開である事から、子供の頃は最も好きだったシナリオです。
また、記憶の中では、私が本作において一番最初にクリアしたシナリオでもあります。
このシナリオでは、三人集まる弟子のうちの二人は、老師の留守中を狙った「義破門団」という連中の手によって命を落としてしまいます。
その為、継承者として生存させて後半の激闘、ひいては最終編に参加させられるのは一人だけになるのですが、
私は何度プレイしても、必ず「レイ・クウゴ」を継承者に選んでいました。
本シナリオにおける弟子の中でも、最終編メンバーにおいても、紅一点である彼女を死なせるというのは、どうしても私の道義に反する事だったのですよ。
(一応、他の二人を選んだ際のメッセージ等の細かな変化を見る目的で、その二人を生存させる場合の展開も見た事はありますが、最終編に向かう前に必ず再プレイして、レイを生存させていました。)
要所要所で(確か全部で五回)流れる「鳥児在天空飛翔 魚児在河里游泳」が、
本作のBGM群の中でも随一の神曲で、その雄大なメロディーが涙を誘うのも大きな加点要素であり、
私の中では、ライブ・ア・ライブを代表する名シナリオの一つと言って差し支えありません。
(最終編の戦いに継承者を参加させる事を考えると、一人の弟子ばかりをえこひいきして稽古を付ける絵面になってしまうのは、まぁご愛嬌でしょう。)
■SF編
未来の宇宙空間を漂う、貨物輸送船”コギトエルゴスム号”の中で生を受けたロボット「キューブ」の視点にて、
不可解な事件の数々と、それによる人間関係の崩壊模様が描かれるシナリオ。
現代編とは逆に、こちらはラスボス戦(+ゲーム内ゲームとして置かれている戦闘ミニゲーム)以外の一切の戦闘が存在しない、アドベンチャー&ホラー色の強い作風です。
え~、このシナリオはですね・・・。
ハッキリ言って、小学生の頃は嫌いでしたね。
子供の頃って、ゲームをしていてもあんまり文章をしっかり読まない事もあって、戦闘がないという事自体がまず退屈ですし、
物語の途中から、輸送物である地球外生命体「ベヒーモス」が倉庫から逃げ出して船内を徘徊するようになるんですけど、こいつがまぁ~~~、怖い。
触れたら一発ゲームオーバーになるのもそうなんですけど、
そもそも、見た目がなんか異様に怖いんですよ。
しかも、それがまたイヤな位置に居たりして、一人では怖くてプレイしたくなかったほどです。
あまりの怖さに、途中何度も自ら宇宙に身投げして遊んでいたのは、きっと私だけではないハズ。
ただ、中学生の頃に再プレイした際には、
キャラクター達の悲哀や憎しみ、歪んだ愛情などの感情が全体通して低体温な感じで描かれている作風だとか、
精神的にジワジワと蝕んでくるようなホラー展開が秀逸である事に気付いて、一応は好きなシナリオにはなりましたね。・・・怖い事自体は苦手なままですが。
(高校の頃には、中学からの友人K君に貸した際にこのシナリオだけやりたくないと言うので、一時的に返してもらって私がSF編だけクリアして渡したという出来事もありました。
その後、彼は全クリまでプレイし、本作について「作ったやつ天才だわ」と評してくれました。)
あ、あと主人公のキューブ自体は、
そのまるっこくてキャッチーな見た目から、子供の頃から好きです。
”「ハイスピードオペ」と言ってその場にうずくまり、無敵状態になる”という謎の遊びを皆でやったのが懐かしいです。
■近未来編
2010年代の東京を舞台に、人の心を読める超能力を持って生まれた不良少年「田所晃(アキラ)」が、
アレコレあって古代の戦闘兵器「ブリキ大王」を動かして巨悪を倒し、世界を救うというシナリオ。
このシナリオは、とにもかくにも、後半の有無を言わせぬ熱い展開がウリ。
小さい頃から、ロボット物にはあまり興味がなかった私ですが、このシナリオにおける終盤の展開だけは例外。
男児ならば、あれは熱くならざるを得ません。最高です。
それだけでなく、マップを徘徊する敵と好きなだけ戦って(レベル13までは)自由にレベリングできたり、
発明家の「藤兵衛」に任意のアイテムを渡す事で”アイテム改造”ができる事を始めとした、一般的なRPGに近いやり込み要素やアイテム回収イベントが数多く搭載されているのも特徴で、
物語とゲーム性を高いレベルで両立した作りであると言えます。
本シナリオのアイテム改造で得た装備品をアキラに装備しておく事で、最終編にてあるキャラクターの技を増やす事が可能なので、
中学の頃に再プレイした際は、攻略サイトを見ながらアイテム改造に精を出した事を覚えています。
(その際のテンポが若干悪い上に、確率で失敗して何も起きない場合も多く、最善を尽くす場合は試行回数がかなり多くなる事が、本シナリオを最後の方にプレイするのをオススメする理由です。)
■幕末編
炎魔忍軍の忍者「おぼろ丸」を操作して、広大な”尾手城”にて捕われの人物を救出し、
野心の男「尾手院王(おでいおう)」打倒を目指すシナリオ。
基本的に、多くのシナリオは人情ドラマを軸としたストーリー展開で魅せる作りとなっている本作において、
一つの大きなマップを攻略していく純粋なゲーム性と自由度に特化した、異質な作りを有したシナリオとなっています。
私は、功夫編や近未来編などのドラマ重視のシナリオが好きだったので、
ゲーム性に特化し過ぎているこのシナリオは、昔から今に至るまで、若干の苦手意識があります。
屋根裏エリアでは、その都度専用のトラップを掻い潜って突破しないといけなかったり、
膨大なやり込み要素や隠し要素などは逆に尻込みしてしまって、子供の頃はなるべくササッと終わらせていた記憶がありますね。
中学の頃に再プレイした際も、隠しボスの一人「魔神竜之介」だけはどうにか倒したものの、
本シナリオにおける主な二種類のやり込みである”0人斬り”と”100人斬り”は、どちらもやろうと思った事すらありません。
ただし、普通にプレイすると物語の折り返し地点辺りで加入する、唯一の仲間キャラクターの名前が「とらわれの男」というセンス、そして覚えている技が最初から最後まで三つだけ、というのがなんだかカッコ良く、
彼と二人だけで、難解なダンジョンの攻略を目指すという絵面自体は好きなので、その一点だけで、決して嫌いにはなりきれないシナリオです。
えっ、「カラクリ丸」? ・・・知らないよ、そんなの。
■中世編
剣と魔法の世界にて、主人公「オルステッド」が、魔王の手下に連れ去られた姫を救うべく、
親友の魔法使い「ストレイボウ」と、かつて魔王を倒した伝説の勇者「ハッシュ」や僧侶「ウラヌス」らと共に立ち上がる、愛と勇気の王道ファンタジー。
・・・ただし、途中までは。 な、シナリオ。
好きな順番でプレイできる7つのシナリオ全てをクリアした後に出現する、8つ目のシナリオで、
途中までは「これでもか」と言うほど王道にして古典的なストーリーと世界観によって物語が繰り広げられますが、四人で魔王(実際には偽物ですが)を倒したところから話がおかしくなり、
最後にはとんでもない結末が待ち受けています。
今更、このブログに辿り着いてまで本記事を読んでくださっている方ならば、きっとどのようなストーリーなのかはご存知の事と思いますが、
まぁ、このシナリオがあってこそ、本作がここまで語り継がれる作品となった理由であるのは、言うまでもない事だと思います。
ただ、私個人としては、子供の頃に初めて見た時というのは、そこまで「衝撃的!」とか「絶望した!」といった感想は持たなかったような気がするんですよね。
あえて言うなら、「変な話だなぁ」とは思ったかもしれませんが、
それよりも、一本のゲームソフトとして、全員が集結する最終編に繋げる為には、アイデア的にこうするのが良かったんだろうか、というメタ的な視点で見ていたのもあったのかもしれません。
大抵のプレイヤーにとっては、後半の怒涛の展開の方が語り草になっている事と思いますが、今も昔も王道ファンタジーに憧れのある私は、前半のコテコテな展開、
具体的には、城門をくぐって旅立つところで、ストレイボウが「俺も行こう」と言って仲間になってくれるシーンや、
二つの民家にて同じ様な盾を発見する事で話が進行したり、紆余曲折あってようやく仲間になった、かつての勇者ハッシュが設定通りの強さを誇っている事、
魔王戦での主力技となる、彼がかつて魔王を倒したという技「デストレイル」の名前とエフェクトが純粋にカッコ良い事など、
そういった、随所から見せる素朴なワクワク感の方が好きだったりするんですよね。
あと、仲間加入とかレベルアップで「キィン!」っていうのも胸躍りますし、
普通はそこまでレベルを上げる事のないウラヌスが、見た目に反してかなりの強技を覚えたりするのも好きです。
こんな感じに中世編を評している人って、それほどいないのではないでしょうか?
決して、アリシア姫の悪女っぷりと、「あの世で俺にわび続けろ」だけが中世編の見所ではないと思ってますよ、私は。
■最終編
闇堕ちしたオルステッドの手によって、各シナリオの主人公達が大集結して最後の戦いを繰り広げる、やり込みによるゲーム性重視の最終シナリオ。
好きなキャラクターを主役に据えて、魔王と化したオルステッドを倒し、皆それぞれが元の世界へと帰る事が目的ではありますが、
パーティに該当のキャラクターがいる場合に限り、そのキャラクターの専用武器が隠されたダンジョンに入る事ができる他、最強の防具シリーズを有する隠しボスも複数用意されている為、
荒廃した中世編の世界をひとしきり探索してキャラ達を鍛え込むという形で、本作を心行くまで遊び尽くす為の作り込みがなされています。
メインキャラクター達の強弱の差はあるものの、基本的には好きなメンバーでどのように攻略しても良く、プレイヤーに遊び方を委ねるようなバランスと設計になっていると言えるでしょう。
↓以下、私が愛用していた順に、主観バリバリのキャラ雑感です。
・高原日勝
現代編で全ての技をラーニングしている場合、最初から全技を網羅した状態、尚かつレベル1から開始できるという、正真正銘の主人公ポジションキャラ。
ラスボスだろうと2~3発当てればズタズタに弱体化できる「通打」の超性能一本で戦い抜く、ハートも最強なナイスガイ。
特定の硬い敵に有効な「烈風正拳づき」、自らの技の中では攻撃範囲が広めな「M・ボンバー」「アロハリテ」等も場面によっては使えるので、意外と小回りも利きます。
知力25? ・・・それがどうしたァァーーーーッッッ!!!!
・サンダウン
短い溜め時間で、ラスボスにさえも結構な割合で999ダメージを叩き出す最強技「ハリケンショット」を覚える、孤高の凄腕ガンマン。
西部編の時点ではそんなにでもないですが、最終編で使っていくうちに、誰もが思った事でしょう。「・・・あれ?なんか火力高くね?」と。
ハリケンショット習得前の「トリプルショット」~「新・みだれ撃ち」の段階ですら、明らかに他キャラよりも数段火力が高く、どれも遠距離攻撃である事も含めて、攻撃役としては文句無しの最強キャラ。彼を使わないのは縛りプレイに近い領域。
欠点としては、仲間にする時に結構面倒くさい事。何故そんなに逃げるのだ、キッドよ。
・レイ(心山拳師範)
強い・速い・可愛いの三拍子揃った、最終編におけるヒロインキャラ。彼女がいない最終編は有り得ない。
画面全体攻撃の中では最高の性能を誇る「画竜天聖の陣」と、自らの傷を癒す高性能回復技「虎砲精気法」を固有技として持つ事に加えて、
溜め無し単体攻撃技としては、本作最高クラスの技に位置付けられているであろう心山拳奥義「旋牙連山拳」が使える事から、ラスボス戦において主にエフェクトの面で主軸の攻撃役として活躍します。むしろ、それが義務。
欠点としては、旋牙連山拳のド派手なエフェクト時間が少々長く、道中でも多用するには少々ダルい事。大半の雑魚相手には「シマリス脚」で戦おう。
・アキラ
正直、設定ミスを疑うくらい、他キャラと比べると明らかに劣る戦闘能力であるものの、「シャドウイメージ」のエフェクトと効果音がカッコ良いという理由だけで、私は意地でもスタメンで起用していたキャラ。
弱いとは言っても、近未来編でレベルと装備をガチガチに強化した状態で、高原主人公にて真っ先に仲間に加えた場合、中盤までは「フレームイメージ」や「フリーズイメージ」等でもかなりの火力が出せる為、普通に戦力になります。
他のキャラが育ってくる終盤においては、地力の低さがどうしても露呈してきますが、知力のステータスを装備で超強化すれば、ラスボス第一形態の目と口に「シャドウイメージ」で200前後のダメージくらいは叩き出せますし、その絵面自体がカッコ良いので、それだけで私の中での彼は存在意義があります。
第二形態戦では、必死に「ローキック」で蹴りまくって戦う姿を見せる事になりますが、それはそれで良いじゃないですか。
・キューブ
アキラと同じく、戦闘能力自体は低めなものの、彼が近未来編から装備を持ち越す事で技を増やせたり、敵が落とす”強化パーツ”でHPを増強させられる事から、キャラカスタム的な独自の面白さを持ったキャラ。
一番の利点は、言うまでもなく固有の反撃回復技「ハイスピードオペ」にあり、まだ他メンバーのレベルが低めな序~中盤においては、彼をメンバーに入れている事で戦闘が安定します。
最終戦にも参加させる場合は、近未来編から持ち越した装備によって技を増やす事で、攻撃役としても参加可能にする事は必須でしょう。そのお蔭か、独特の面白さがあって捨てがたい魅力もあると思います。
(持ち越す装備は、「岩石砲」「コトブキラッカー」「プラズマスパーク」「昭和キントト砲」「昭和ヒヨコッコ砲」がオススメ。)
・ポゴ
溜め無しで999ダメージ付近を叩き出す代わりに、その戦闘での自らのステータスを大幅減少する「ドデゲスデン」による短期決戦能力に長けた、一発屋的キャラ。
原始編の説明でも述べた通り、子供の頃は結構好きでパワー系キャラとして最終戦にも入れていた記憶がありますが、冷静に見るとドデゲスデン以外の技はパッとしません。(溜め無し遠距離攻撃の「ブンブン」が使えるくらい?)
ただ、そのドデゲスデンのお蔭で単発火力最強なイメージはありますし、早くから仲間にして、レベル16以上にした彼を連れ回していれば、大半のボス戦でラクができます。
あと、個人的に”ドデゲスデン”っていう言葉自体の響きというか、それを最強技に名付けたセンスが凄いなって思うんですけど、わかる方います?
・おぼろ丸
高火力かつ、遠距離又は広範囲な攻撃技を複数持つ上に、敵一体を確率による石化効果で一撃死させる固有技「影一文字」を覚え、更には主人公選択時にはダッシュの速度が上がるという優遇っぷりで、多くの人がスタメン起用していたであろうキャラ。
・・・なのですが、これは完全に私の好みの話なのですが、その優等生っぽさが逆になんだか使う気にならず、あまり積極的にパーティに入れていた記憶がありません。
高い水準でバランスが取れた万能キャラという性能面において、レイと被っている点と、単純に私が幕末編が苦手だった事から、最終編においても彼を使うのを敬遠しがちだったのだと思います。ごめんよ、おぼろ丸。
(この最終編においては、「オルステッド」を主人公に選ぶ事も可能で、何やら不気味な専用シナリオの果てにBADENDならぬ”SADEND”や、特定の条件にて全てが消滅する”ハルマゲドンEND”などを体験する事ができ、
意味深ではあるのですが、私はそれらに関しては”記憶に残らせる為の後味の悪いおまけ”程度にしか捉えていないので、その他本作におけるメッセージ性に富んだ部分も含めて、詳しい言及はあえて割愛します。)
そんな感じで、スクウェアが誇る名作「ライブ・ア・ライブ」の魅力と要点を、
私なりに紹介させて頂きました。
では最後に、本記事に大仰なタイトルを付ける理由となった思い出話を致しましょう。
私にとっての本作は、最初の方にも述べた通り、その独創的な内容と、個性的で魅力あるキャラクター達の存在などから、数名の友人達とも楽しさを共有しながらプレイする事が多い作品でした。
しかし、それ故、中学時代に再プレイしようと思った際に、このゲームソフトが我が家から無くなっている事に気付きます。
(おそらくは、小学生の時にパワポケ繋がりで仲が良かったT君に借りパク・・・もとい、私が貸したままにして忘れてしまったのでしょう。)
なので、あちこちのゲーム屋さんを巡って中古で買い戻す事になったのですが、
その時は、箱説無しの状態のものを280円で買えたんですよね。
つまり、その頃(2003年)はまだ、マイナーで人気のないゲームという扱いだったのです。
ところが、それから数年が経ち、何とはなしにネット上で本作のタイトルを検索してレビューや感想ページを見ていた時に、「なんだか随分と知名度と人気が高まっているんだな」という事に気付き、それと同時に、中古価格も数千円まで上昇していたのです。
また、大学四年の時には、本作をプレイしたいけどレアゲーだから持っていないと言う、同じ学部の友人F君がいたので、私が持っているから貸すと言ったら、「思わぬ収穫だ」と数日でクリアまでプレイして返してくれたという出来事もあり、
これだけ長年に渡って、何人もの友人にカセットを貸して面白さを共有したゲームソフトというのは、私にとって、他に存在しないのです。
ネット上で、本作の評価が相当に高まった理由を考えた時、私としては、
「こんな感じのゲームを他にもやりたいと思っても、そんな物はない」と言ってしまえるほど、このゲームが独創的な形式である事が、時が経って認知されたからなのではないかなと思っています。
これだけキャッチーなメインキャラクター達がひしめき合い、
時代も趣向もバラバラなシナリオ群によるオムニバス形式をとっていて、
BGMもそれらに合わせた非常にハイレベルなものが用意され、
戦闘システムも”チェッカーバトル”という他に類を見ないシステムになっているRPGなんて、
他に一切存在しないでしょう。
小さい頃から何気なく慣れ親しんでいたゲームですが、今となっては、
「とんでもない一品だったんじゃないか」という実感があります。
(小さい頃は、どのシナリオも割と短いという事が欠点に感じていたのですが、それも自分が成長するにつれて「あまり時間を取らずに再プレイしやすい」という利点に変わりました。)
その人気と伝説の裏付けとして、イラストの版権などから長らく移植は無理だと言われ続けていたらしい中で、
2015年にWiiU、更に翌年にはNew3DSにてバーチャルコンソール化も実現しています。
~~子供の頃から自然と我が家にあり、折に触れては遊び続け、
その都度、いろんな友人達とも共通の娯楽として楽しみ、密かにネット上での評価も年々上昇していった・・・という、伝説的な存在感を有したゲームソフト。
それが、私にとっての「ライブ・ア・ライブ」という作品です。